11月22日(土)の演奏会「フーガの楽しみ」は無事終了しました。ナレーション付きの演奏会というより、実質レクチャーコンサートだったので、ナレーション原稿をご覧になるとどのような演奏会だったのか分かりやすいと思います。
ナレーションの内容は、音楽史上の様々な問題に触れることなく、フーガとその楽しみに特化したものです。あまり一般的には馴染みのない音楽が多いので、曲名のうちいくつかはユーチューブ動画にリンクを貼っています。
すべての曲目がビオラ2本を含む、変則的な弦楽四重奏(いくつかのフーガは三重奏)で演奏されました。以下、演奏会の流れとナレーション原稿です。
演奏[J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻から第16番ト短調BWV861]
こんにちは。私は小沼和夫と申します。只今演奏していました弦楽四重奏のメンバーが所属する、シンフォニエッタ福岡という室内オーケストラのミュージックアドバイザーを務めております。今日は指揮棒をマイクに持ち替えて、「フーガの楽しみ」の案内人をさせていただきます。
フーガを「楽しいものだ」と思われている方は、あまりいらっしゃらないのではないかと思います。「勉強の教材」だったり、交響曲やミサ曲のグローリア楽章の最後を盛り上げる「ちょっとステレオタイプな存在」といったところだと思います。
フーガを楽しいと感じられないのは、「聴き方のポイント」がクラシック音楽とは異なるからでしょう。段落に区切られたドラマとして出来ている交響曲に較べ、フーガは段落性とドラマ性の弱い、言ってみれば「プレクラシック音楽」なのです。演奏する側も、聴く側も、そのことを分かっていないと、フーガはアカデミックなだけの、つまらない音楽ということになってしまいます。
プレクラシック音楽の流れを追ってみると、フーガの楽しみが何となく見えて来ます。では現存する最古のプレクラシック音楽、グレゴリオ聖歌をお聴きください。
演奏[グレゴリオ聖歌:キリエ・エレイソン第4番]
グレゴリオ聖歌は単旋律聖歌ですが、完成された美しさを持ち合わせています。けれども人間は欲深いもので、単数よりも複数のほうが充実している、手を加えればもっと良いものが出来ると考えがちです。そこで何をしたかというと、旋律同士をずらして絡み合わせたのです。そういった曲種をオルガヌムと云います。
オルガヌムが旋律に和音を付けるという方向に走らず、旋律を絡み合わせる方向に向かったことは、後のフーガにとっては重要なポイントです。
オルガヌムはかなりの数の楽譜が残っているのですが、リズム解釈の定説がありません。ということは、まったく演奏不可能なわけではないのですが、「オルガヌムはこんなリズムで演奏されていましたよ」とはっきり言える演奏をお聴かせすることは出来ないのです。
そこで400年ほどお待ちいただいて、リズムなどがはっきりと分かっている、初期ポリフォニー音楽をお聴きいただきましょう。初期ポリフォニー音楽の中で有名なものが、史上最古の通作ミサ曲と云われている、ギヨーム・ド・マショーの「ノートル・ダム・ミサ曲」です。1300年代前半の作品です。
演奏[ギヨーム・ド・マショー:ノートル・ダム・ミサ曲〜キリエ]
ヨーロッパの宗教音楽では、象徴的な意味を持った、有名な旋律を作品の中に引用するということが、当時から行なわれていました。この曲の中にも、グレゴリオ聖歌キリエ第4番の旋律が引用されています。お聴きになった方の中で、この旋律に気が付いた方はおそらくほとんどいなかったと思います。
では、これを誰もが気が付くように演奏したらどうなるでしょうか? 今度は全員で同じ箇所を、ビオラさんだけフォルテ、ほかのパートはメッツォ・ピアノで演奏してください。
演奏[ギヨーム・ド・マショー:ノートル・ダム・ミサ曲〜キリエ7〜13小節]
とても非音楽的ですね。クラシックの音楽では主題旋律は必ず聴かせます。ところがクラシック以前の音楽では、作曲者が絵の中に塗り込めた秘密がいっぱいあり、それはそれでミケランジェロやレオナルドの絵画に塗り込められた秘密と同様、聴こえなくても良いのです。ゆったりと音楽的に聴こえてくることのほうが大切です。
さてここでポリフォニーという音楽のスタイルを紹介しましょう。今、つまり現代の世界で聴かれる音楽は、100パーセント近くがホモフォニーというスタイルの音楽です。クラシックの演奏会場でも大きな違いはありません。ホモフォニーとは旋律があり、それに伴奏が付いたりというように、和音という縦の線が取りまとめる音楽です。
ところが今から500年前、ルネッサンスの時代、主流だったのはポリフォニーというスタイルの音楽です。ポリフォニー音楽では、旋律と伴奏といった主従関係は一切なく、各パートが対等に自己主張します。たとえばあるパートの旋律のでこぼこと、別のパートの旋律のでこぼこがこんなふうに食い違ったとします。その食い違い方が絶妙ならば、絶妙なポリフォニー音楽として聴こえてくるのです。
その絶妙なポリフォニー音楽を作曲するとして知られていたのが、ジョスカン・デ・プレです。ポリフォニー音楽が最も栄えた盛期ルネッサンス、作曲家のほとんどは現在の北フランスからオランダに至る、フランドル地方の出身者ばかりでした。よって盛期ルネッサンス=フランドル楽派という図式が成立します。その中でも抜きん出た存在がジョスカン・デ・プレでした。
演奏[ジョスカン・デ・プレ:アヴェ・マリア]
こういったルネッサンスのモテットやミサ曲は、ほとんどがパート譜の形で残されています。当時の作曲家はスコアには書かず、頭の中で曲を完成させ、直接パート譜に書き込んでいたようです。
ではどうやって合唱をしていたかというと、見開きに全パートのパート譜が印刷された大判の楽譜を高い位置に立て、全員で見ながら、指揮者の取るカウントに従って歌ったのです。パート譜に小節線はありません。一度カウントに乗り遅れると、たぶん自爆することになります。
つまり無伴奏の合唱の難しさは現代とは比較にならなかったのです。「ア・カペラ」という言葉が登場したことには、おそらくこのような背景があったのでしょう。この言葉、単に「礼拝堂風に」と教わりますが、実際には「システィーナ礼拝堂の聖歌隊のように」という意味があるのだということです。
こういった合唱では、縦のタイミングをしっかりと合わせていかないと揃った演奏になりませんが、それでもどうしても揃わないものがあります。各パートの抑揚です。音楽自体、各パートがタイミングをずらして自己主張するように書かれているのですから当たり前です。実はそれがポリフォニー音楽の面白さなのです。「あっちのでこぼこ」と「こっちのでこぼこ」が交互に聴こえて来るというのは、なんとなく楽しいじゃないですか? そしてこの「ポリフォニーの楽しみ」は「フーガの楽しみ」へとつながっていきます。
演奏[パレストリーナ:谷川の鹿が泉を求めるように]
グレゴリオ聖歌以来、ヨーロッパ音楽はうねるような抑揚を持ち、その抑揚をパート同士でやりとりし合い、絡み合わせ、ポリフォニー音楽を表現してきました。
バロック時代に入ると、別の抑揚が音楽を支配します。舞曲のリズムとそれに伴うアクセントです。ルイ14世の寵愛を受けたジャン=パティスト・リュリは、独特のリズム感を持った序曲と、舞曲をちりばめたバレエ音楽を多数作曲しました。
そしてその舞曲は踊るための音楽として、演奏スタイルでも特徴を持っていました。拍子、あるいはリズムが強調されていたのです。現代でも中学の音楽の時間に「強拍と弱拍があります」と教わりますが、リュリの音楽では「高貴な音」と「平凡な、あるいは卑しい音」というように、もっと細かく等級分けがされ、現代よりはるかにそれが強調されていたのです。そして高貴な音は、鋭く演奏されたり、逆にふっくらと演奏されたりして強調されるばかりでなく、しばしば長く演奏されました。当然「平凡な音」は短くなります。つまり楽譜が書かれたとおりに演奏されることは稀だったと云えるでしょう。
序曲や舞曲の作曲スタイルと、こういった演奏習慣は全ヨーロッパの器楽文化に大きな影響を与えることになります。そのリュリの音楽を聴いてみましょう。
演奏[ジャン=バティスト・リュリ:コメディ・バレ「町人貴族」より「トルコの儀式のための行進曲」]
このような演奏スタイル、アクセントの付け方はほぼ全ヨーロッパ的なものになります。フーガも例外ではないはずです。
ルネッサンスの穏やかな抑揚感に変わって、バロックの起伏に富んだ抑揚がポリフォニーを演出します。けれどもポリフォニーはポリフォニーです。あくまでも声部間のやり取りの音楽です。その様子がよく分かるように平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番のフーガの最初を、2人だけで演奏しもらいましょう。
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番フーガ冒頭]
これで私達の、フーガに向かう気持ちは整ったわけです。私も喋りすぎました。ここからはお喋りなしで、バッハのフーガをお楽しみください。
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番ハ長調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第2番ハ短調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第5番ニ長調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻第6番ニ短調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第8番嬰ニ短調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第10番ホ短調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第16番ト短調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第17番変イ長調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第21番変ロ長調フーガ]
バッハの生きていた時代、フーガは既に時代遅れのジャンルでした。イタリアでもフランスでも、音楽は縦の動きで捉えられるようになっていました。バッハは音楽を声部の動きで考えていた最後の音楽家だと云われています。そのバッハはフーガという芸術がこのまま廃れてしまうことのないよう、ひとつの模範的な曲集を残そうと考えます。「フーガの技法」です。その中からコントラプンクトゥス19番と呼ばれる、未完成のフーガをお聴きください。構成を考えると、おそらく残り10パーセント程度のところで、この作品は絶筆していると思います。
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:フーガの技法 BWV1080 〜 コントラプンクトゥス19]
アンコールにはバッハのコラール「装いせよ、汝、愛する魂よ(Schmücke dich, o liebe Seele)」BWV654が演奏されました。
尚、当演奏会で使用された楽譜はすべてオリジナルの作品をオープンスコアに書き出すか、楽器割当の変更を行なっただけのもので、一切編曲は加えていません。
ナレーションの内容は、音楽史上の様々な問題に触れることなく、フーガとその楽しみに特化したものです。あまり一般的には馴染みのない音楽が多いので、曲名のうちいくつかはユーチューブ動画にリンクを貼っています。
すべての曲目がビオラ2本を含む、変則的な弦楽四重奏(いくつかのフーガは三重奏)で演奏されました。以下、演奏会の流れとナレーション原稿です。
演奏[J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻から第16番ト短調BWV861]
こんにちは。私は小沼和夫と申します。只今演奏していました弦楽四重奏のメンバーが所属する、シンフォニエッタ福岡という室内オーケストラのミュージックアドバイザーを務めております。今日は指揮棒をマイクに持ち替えて、「フーガの楽しみ」の案内人をさせていただきます。
フーガを「楽しいものだ」と思われている方は、あまりいらっしゃらないのではないかと思います。「勉強の教材」だったり、交響曲やミサ曲のグローリア楽章の最後を盛り上げる「ちょっとステレオタイプな存在」といったところだと思います。
フーガを楽しいと感じられないのは、「聴き方のポイント」がクラシック音楽とは異なるからでしょう。段落に区切られたドラマとして出来ている交響曲に較べ、フーガは段落性とドラマ性の弱い、言ってみれば「プレクラシック音楽」なのです。演奏する側も、聴く側も、そのことを分かっていないと、フーガはアカデミックなだけの、つまらない音楽ということになってしまいます。
プレクラシック音楽の流れを追ってみると、フーガの楽しみが何となく見えて来ます。では現存する最古のプレクラシック音楽、グレゴリオ聖歌をお聴きください。
演奏[グレゴリオ聖歌:キリエ・エレイソン第4番]
グレゴリオ聖歌は単旋律聖歌ですが、完成された美しさを持ち合わせています。けれども人間は欲深いもので、単数よりも複数のほうが充実している、手を加えればもっと良いものが出来ると考えがちです。そこで何をしたかというと、旋律同士をずらして絡み合わせたのです。そういった曲種をオルガヌムと云います。
オルガヌムが旋律に和音を付けるという方向に走らず、旋律を絡み合わせる方向に向かったことは、後のフーガにとっては重要なポイントです。
オルガヌムはかなりの数の楽譜が残っているのですが、リズム解釈の定説がありません。ということは、まったく演奏不可能なわけではないのですが、「オルガヌムはこんなリズムで演奏されていましたよ」とはっきり言える演奏をお聴かせすることは出来ないのです。
そこで400年ほどお待ちいただいて、リズムなどがはっきりと分かっている、初期ポリフォニー音楽をお聴きいただきましょう。初期ポリフォニー音楽の中で有名なものが、史上最古の通作ミサ曲と云われている、ギヨーム・ド・マショーの「ノートル・ダム・ミサ曲」です。1300年代前半の作品です。
演奏[ギヨーム・ド・マショー:ノートル・ダム・ミサ曲〜キリエ]
ヨーロッパの宗教音楽では、象徴的な意味を持った、有名な旋律を作品の中に引用するということが、当時から行なわれていました。この曲の中にも、グレゴリオ聖歌キリエ第4番の旋律が引用されています。お聴きになった方の中で、この旋律に気が付いた方はおそらくほとんどいなかったと思います。
では、これを誰もが気が付くように演奏したらどうなるでしょうか? 今度は全員で同じ箇所を、ビオラさんだけフォルテ、ほかのパートはメッツォ・ピアノで演奏してください。
演奏[ギヨーム・ド・マショー:ノートル・ダム・ミサ曲〜キリエ7〜13小節]
とても非音楽的ですね。クラシックの音楽では主題旋律は必ず聴かせます。ところがクラシック以前の音楽では、作曲者が絵の中に塗り込めた秘密がいっぱいあり、それはそれでミケランジェロやレオナルドの絵画に塗り込められた秘密と同様、聴こえなくても良いのです。ゆったりと音楽的に聴こえてくることのほうが大切です。
さてここでポリフォニーという音楽のスタイルを紹介しましょう。今、つまり現代の世界で聴かれる音楽は、100パーセント近くがホモフォニーというスタイルの音楽です。クラシックの演奏会場でも大きな違いはありません。ホモフォニーとは旋律があり、それに伴奏が付いたりというように、和音という縦の線が取りまとめる音楽です。
ところが今から500年前、ルネッサンスの時代、主流だったのはポリフォニーというスタイルの音楽です。ポリフォニー音楽では、旋律と伴奏といった主従関係は一切なく、各パートが対等に自己主張します。たとえばあるパートの旋律のでこぼこと、別のパートの旋律のでこぼこがこんなふうに食い違ったとします。その食い違い方が絶妙ならば、絶妙なポリフォニー音楽として聴こえてくるのです。
その絶妙なポリフォニー音楽を作曲するとして知られていたのが、ジョスカン・デ・プレです。ポリフォニー音楽が最も栄えた盛期ルネッサンス、作曲家のほとんどは現在の北フランスからオランダに至る、フランドル地方の出身者ばかりでした。よって盛期ルネッサンス=フランドル楽派という図式が成立します。その中でも抜きん出た存在がジョスカン・デ・プレでした。
演奏[ジョスカン・デ・プレ:アヴェ・マリア]
こういったルネッサンスのモテットやミサ曲は、ほとんどがパート譜の形で残されています。当時の作曲家はスコアには書かず、頭の中で曲を完成させ、直接パート譜に書き込んでいたようです。
ではどうやって合唱をしていたかというと、見開きに全パートのパート譜が印刷された大判の楽譜を高い位置に立て、全員で見ながら、指揮者の取るカウントに従って歌ったのです。パート譜に小節線はありません。一度カウントに乗り遅れると、たぶん自爆することになります。
つまり無伴奏の合唱の難しさは現代とは比較にならなかったのです。「ア・カペラ」という言葉が登場したことには、おそらくこのような背景があったのでしょう。この言葉、単に「礼拝堂風に」と教わりますが、実際には「システィーナ礼拝堂の聖歌隊のように」という意味があるのだということです。
こういった合唱では、縦のタイミングをしっかりと合わせていかないと揃った演奏になりませんが、それでもどうしても揃わないものがあります。各パートの抑揚です。音楽自体、各パートがタイミングをずらして自己主張するように書かれているのですから当たり前です。実はそれがポリフォニー音楽の面白さなのです。「あっちのでこぼこ」と「こっちのでこぼこ」が交互に聴こえて来るというのは、なんとなく楽しいじゃないですか? そしてこの「ポリフォニーの楽しみ」は「フーガの楽しみ」へとつながっていきます。
演奏[パレストリーナ:谷川の鹿が泉を求めるように]
グレゴリオ聖歌以来、ヨーロッパ音楽はうねるような抑揚を持ち、その抑揚をパート同士でやりとりし合い、絡み合わせ、ポリフォニー音楽を表現してきました。
バロック時代に入ると、別の抑揚が音楽を支配します。舞曲のリズムとそれに伴うアクセントです。ルイ14世の寵愛を受けたジャン=パティスト・リュリは、独特のリズム感を持った序曲と、舞曲をちりばめたバレエ音楽を多数作曲しました。
そしてその舞曲は踊るための音楽として、演奏スタイルでも特徴を持っていました。拍子、あるいはリズムが強調されていたのです。現代でも中学の音楽の時間に「強拍と弱拍があります」と教わりますが、リュリの音楽では「高貴な音」と「平凡な、あるいは卑しい音」というように、もっと細かく等級分けがされ、現代よりはるかにそれが強調されていたのです。そして高貴な音は、鋭く演奏されたり、逆にふっくらと演奏されたりして強調されるばかりでなく、しばしば長く演奏されました。当然「平凡な音」は短くなります。つまり楽譜が書かれたとおりに演奏されることは稀だったと云えるでしょう。
序曲や舞曲の作曲スタイルと、こういった演奏習慣は全ヨーロッパの器楽文化に大きな影響を与えることになります。そのリュリの音楽を聴いてみましょう。
演奏[ジャン=バティスト・リュリ:コメディ・バレ「町人貴族」より「トルコの儀式のための行進曲」]
このような演奏スタイル、アクセントの付け方はほぼ全ヨーロッパ的なものになります。フーガも例外ではないはずです。
ルネッサンスの穏やかな抑揚感に変わって、バロックの起伏に富んだ抑揚がポリフォニーを演出します。けれどもポリフォニーはポリフォニーです。あくまでも声部間のやり取りの音楽です。その様子がよく分かるように平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番のフーガの最初を、2人だけで演奏しもらいましょう。
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番フーガ冒頭]
これで私達の、フーガに向かう気持ちは整ったわけです。私も喋りすぎました。ここからはお喋りなしで、バッハのフーガをお楽しみください。
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番ハ長調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第2番ハ短調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第5番ニ長調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻第6番ニ短調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第8番嬰ニ短調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第10番ホ短調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第16番ト短調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第17番変イ長調フーガ]
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第21番変ロ長調フーガ]
バッハの生きていた時代、フーガは既に時代遅れのジャンルでした。イタリアでもフランスでも、音楽は縦の動きで捉えられるようになっていました。バッハは音楽を声部の動きで考えていた最後の音楽家だと云われています。そのバッハはフーガという芸術がこのまま廃れてしまうことのないよう、ひとつの模範的な曲集を残そうと考えます。「フーガの技法」です。その中からコントラプンクトゥス19番と呼ばれる、未完成のフーガをお聴きください。構成を考えると、おそらく残り10パーセント程度のところで、この作品は絶筆していると思います。
演奏[ヨハン・ゼバスチアン・バッハ:フーガの技法 BWV1080 〜 コントラプンクトゥス19]
アンコールにはバッハのコラール「装いせよ、汝、愛する魂よ(Schmücke dich, o liebe Seele)」BWV654が演奏されました。
尚、当演奏会で使用された楽譜はすべてオリジナルの作品をオープンスコアに書き出すか、楽器割当の変更を行なっただけのもので、一切編曲は加えていません。
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by TheSonicBird
| 2014-11-29 21:25
| ● ピリオド奏法