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カンタータプロジェクト:小沼和夫

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OVPP(各パート1名の合唱)を考える:索引






# by TheSonicBird | 2020-09-28 15:48 | ● OVPP(各パート1名)の検証

OVPPを考える(3):OVPPに関する私見

 ここまでライプツィヒでのバッハの声楽・器楽アンサンブルのバランスと、OVPP(One Voice Per Part =各パート1名の合唱)の主張の論拠について検証してきました。そして今回は逆に、まったくの私見を述べようと思います。


 私がOVPPでのカンタータ演奏を考え始めたのは20年前、モーツァルト:レクイエムのソリスト・リハーサルの最中でした。ノンビブラートでよく共鳴し合い、メッサ・ディ・ヴォーチェさえ聴こえてくる四重唱を聴きながら、ふと「このメンバーでバッハのカンタータの合唱をやってみたらどうなるだろう?」と考えてみたのです。アンサンブル能力と古楽歌唱に長けた声楽家が集まれば、曲によっては各パート1名のほうが、バッハの音楽を活かせる可能性があることを感じました。

 モダンな合唱では人数は力となります。しかしポリフォニー音楽(バッハの時代のような「通奏低音上のポリフォニー」も含めて)では、圧倒的にOVPPが有利だと私は考えています。ポリフォニー表現のための最有力の手段は、各声部の独立した抑揚です。ポリフォニー音楽は、各声部が音高、リズムともに同時進行しない音楽です。そして同時進行していないことが強調されることにより、魅力を発揮する音楽でもあります。各声部の旋律線とアーティキュレーションの喰い違い、軋轢、絡み合いがポリフォニー音楽を面白く聴かせるのです。そのときに各パートが1人であるならば、その独立した抑揚はより強調され、よりピュアな形で現出します。逆に各パートが複数名であるならば、同一パート内での歩み寄りがお互いの抑揚を打ち消し合い、その効果を弱めてしまうのです。


 ではOVPPに全面的に賛成かと言うと、そうとも言い切れません。OVPPの最大の難点はバランスです。古楽の声楽アンサンブルは繊細です。マッシブな歌い方をすると、すべてが壊れてしまいます。つまり声楽にマッシブな歌唱をさせないための、適度に薄いボリューム(人数編成、奏法などによる音の疎密、強弱)の器楽アンサンブルが必須なのです。

 実際にOVPPでのカンタータ演奏を計画するにあたって、私はいくつものOVPP演奏を視聴してみました。完全にバランスの取れた声楽・器楽アンサンブルであるならば、OVPPの合唱は、各パート1人の「合唱」として聴こえます。しかし器楽アンサンブルのボリュームが厚くなるならば、OVPPの合唱は「四重唱」、つまり4人の独唱に近付いていきます。極端な例では「19世紀オペラの四重唱」のように聴こえるものもありました。古楽が専門の声楽家達でもです。声楽は身体そのものを楽器とします。器楽が強まれば強まるほど、声楽家は本能的にそれに対抗します。すると古楽としての良い歌唱法は失われ、声を張り上げた演奏になってしまうのです。

 OVPPでも器楽アンサンブルに対抗して声を聴かせることは、比較的容易です。一番難しいことは、ピリオド歌唱法を保つことなのです。

OVPPを考える(3):OVPPに関する私見_c0220624_21120456.jpeg
カンタータプロジェクト2019
J. S. Bach:Jesu, meine Freude, BWV227

 私はOVPPでは、弦楽器に各パート2~3名を要求する、1730年嘆願書のような史実に反してでも、器楽を薄くして声楽とのバランスを取るべきだと思っています。それは一般的な声楽曲に関して言われるような「声を聴かせる」とか、「歌詞を聴かせる」といったバランスではなく、声楽アンサンブルにピリオド歌唱法を保たせ、ポリフォニー表現を担うことを出来るようにするためのバランスです。そのためにはまず選曲が重要だと考えます。OVPPで演奏可能な作品を選ぶ必要があると思うのです。その条件は下記のとおりです。


ⅰ.管楽器の少ない編成の作品.

ⅱ.器楽声部の音があまり密でない作品.


 トランペット3本とティンパニが加わっているような作品は、OVPPには適さないと考えています。木管楽器については本数もさることながら、コラパルテの少ない作品を選ぶ必要があると考えています。例えばソプラノをフルートとオーボエと弦がなぞり、アルトも同様という作品では、決して良い効果は望めないと思います。同じ数の編成でも器楽声部が独立しているほうが、OVPPに適していると思われます。

 弦楽器に関しても、異論はあると思いますが、1730年嘆願書のバッハ自身の要望(各パート2~3名)に反して、各パート1名が理想だと考えています。つまりOVPPに対しては、OIPP(One Instrument Per Part)がバランス点ということです。


 OVPPの最大の難しさは、演奏そのものではなく、バランスが声楽アンサンブルに与える影響だと思っています。こういった観点に立って、各パート複数の合唱と交互にOVPPを試してみたいと思っています。





# by TheSonicBird | 2020-09-27 21:15 | ● OVPP(各パート1名)の検証

OVPPを考える(2):OVPPその論拠

 OVPP(One Voice Per Part =各パート1名)の最も主要な論拠は、一言で言うならばトマス合唱団の人員不足です。バッハ在任時のトマス合唱団の定数は55名だったと言われています。当時としてはかなり大規模な合唱団です。そのトマス合唱団が何故人員不足に陥るのか、そのメカニズムを見ていきましょう。


 まずトマス合唱団について、よく「トマス教会聖歌隊」という訳を見かけますが、少なくともバッハ在任時、トマス教会に専属の聖歌隊はありませんでした。トマス教会に隣接するトマス学校が寄宿生達による聖歌隊、つまり「トマス合唱団」を、市内の4教会の礼拝に手分けして送り出すというものが、ライプツィヒ市内の聖歌隊事情でした(現在ではトマス学校は移転し、トマス合唱団も別組織になっています)。

 55名が四分割されればかなり厳しいですが、1グループあたり最低12名(各パート3名)は確保され、7名の余裕が生じます。けれどもさらに別の要素が追い討ちをかけます。

 演奏曲目の難易度から言えば、もちろんトマス教会と、そしてほぼ同格のニコライ教会が筆頭で、この2教会では器楽アンサンブル付きのカンタータが演奏されます。そして音楽的にはやや難易度が落ちる新教会、単純コラール(単旋律?)だけのペテロ教会がそれに続きます。カンタータ演奏のための器楽アンサンブルの奏者は、町楽士や大学生だけでは足りませんでした。するとこちらにも、トマス合唱団から人員を廻さなければなりません。

 さらにバッハの合唱楽章の難易度を理解しておかなければなりません。バッハのカンタータ、受難曲等の合唱楽章に要求される歌唱技術の難易度はかなり高度なもので、当時の批評家マッテゾンらにより、「バッハはオルガンの指のように声のパートを書く」と批判されてもいます。つまり単純に人数と言っても、技術的にバッハの作品を歌えるだけの歌唱力を持った、数少ない人数の話になります。しかもカンタータ1曲につき、1週間という練習期間です。この難易度の高さゆえに、前任者の下では機能していたシステムが麻痺してしまったとも言えるでしょう。

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 そこで人材不足を訴えたのが、バッハが市参事会に宛てて提出した、有名な1730年8月23日付の嘆願書です。バッハはここで独唱者を常に数名出した上で、合唱の各パートを3名、理想を言えば4名で編成し、楽器奏者の不足分も充当するだけの、寄宿生の量と質の向上を訴えかけています。合唱の定数を増やすためにトマス学校寄宿生の定員を増やすのは不可能(増改築が必要?)ですから、どう考えてもこの嘆願書によって事態は好転したとは考えられません。その結果、バッハがどのくらいの編成を必要とし、しかもどう慢性的な人員不足に悩んでいたかということを後世に伝える文書だけが残りました。この人員不足分を計算してみると、各パート1名という結論に辿り着くというのがOVPP説です。


 尚、この問題に関して考える際、現代人にありがちな以下の二点の思い込みだけは、排除しておくべきでしょう。


 ⅰ.大規模な作品はパート複数で歌われていたに違いない.

 ⅱ.歌詞が聴こえる編成で歌われていたに違いない.


 声部数の多い、大規模な作品は逆に人手が不足し、パートあたりの人数は減る道理です。また歌詞については、コラールでは楽器編成を厚くしてでもコラール旋律をはっきりと聴かせ、会衆が諳んじている歌詞を思い出させることに重点を置き、ポリフォニー楽章では楽器による助力が歌詞を覆いがちであったことは認識しておかなければなりません。つまり音量バランスは楽器側に寄っていて、歌詞は聴こえ辛かったということです。この二点は人数を考える上で重要です。


 こういった主張を固める傍証がパート譜です。かなり最近(20世紀中盤)まで、古典合唱曲はスコアではなく、パート譜で歌われていました。バッハの教会音楽では独唱者は合唱歌手を兼ねますから、独唱者のパート譜には合唱パートも記されています。それに対して合唱専用のパート譜では、レチタティーボやアリアなど独唱曲の箇所に、ただ「休み」と記されているだけです。

 もし独唱・合唱兼用のパート譜のほかに合唱専用のパート譜も残されていたら、その作品は合唱が各パート複数名で歌われていたことが確実になります。単純に独唱・合唱兼用のパート譜だけが残されていても、OVPPの証明にはなりません。合唱のときは横に複数名が立って覗き込んでいた可能性があるからです。

 ただし作品によっては独唱・合唱兼用のパート譜と合唱専用の両方が残され、別の作品では独唱・合唱兼用のパート譜のみが残されていたとなると、独唱・合唱兼用のパート譜のみが残されているカンタータはOVPPで演奏されていた可能性が高まります。OVPP説の主張はすべてのカンタータではなく、このようなカンタータがOVPPで演奏されていたとするものです。

 個人的な見解を言えば、パート譜のOVPP立証に関する証拠能力は低いと思っています。筆写習慣の変化、筆写人の写譜速度、作曲完了から礼拝までの期間など、外的要因に左右される部分が多いと思われるからです。ですが傍証として挙げられているので、一応併記します。


 以上がOVPPの論拠です。


 実際に各パート3名が揃えられないので、1730年の嘆願書が存在しているのは明らかです。確かに各パート1~2名を揃えるのが限界だったでしょう。それでも次のような議論が生じます。


ⅰ.OVPPの史実に従うべき.

 「作曲家はその楽器のために作曲した」に近い、ある意味ピリオド奏法の原点に立つ議論です。ただし「各パート3名はほしい」と記された嘆願書があるため、その主張が成り立つのかどうか、議論の余地がありそうです。


ⅱ.嘆願書の編成がバッハの理想とする編成.

 嘆願書がバッハ自身の意思なのだから、その内容、各パート3~4名を実現すべきだという主張です。ただしこれにも、嘆願書の編成が達成されない以上、バッハは現状に合わせて作曲したという反論が成り立ち得ます。


ⅲ.各パート5名で編成することは可能だった.

 トマス学校には寄宿生のほかに通学生がおり、その人数を加えるならば各パート5名の合唱が可能だったという説です。証拠はまったくない推測です(ただしそれを間違いとする証拠もありません)。こういった説が出て来る背景には、前回述べた「1730年の嘆願書どおりに編成してもバランスが取れない」という事情もあると思います。時代考証というより現代の演奏水準による、確証バイアスかも知れません。


 OVPPの論拠を色々と見てきました。1通の嘆願書とパート譜の構成を除いては、ほぼ何の証拠も残っていない、300年前の出来事です。証拠主義という観点からは、どの主張も「証拠不充分」でしょう。私自身は机上で何らかのジャッジメントを下すべきではないと考えています。それぞれの主張に従った行なわれた演奏が、良い演奏になるかどうかが、最終的なジャッジメントなのだと思います。それが音楽というものだと思っています。





# by TheSonicBird | 2020-09-26 21:18 | ● OVPP(各パート1名)の検証

OVPPを考える(1):1730年嘆願書の声楽・器楽バランス

 バッハの教会音楽ではOVPP(各パート1名編成による合唱)による演奏が、海外で盛んに行われています。これについて3回に分けて検証を加えてみたいと思います。300年前のことで証拠らしい証拠の残っている領域ではなく、どう検証してもOVPPの正当性については、おそらく結論は出ないと私は思っています。ただ、私自身OVPPでの演奏会を計画しているので、周辺の事実をきちんと把握しておきたいとは思っています。


 バッハの声楽・器楽の人数構成について、ほとんどの音楽家・音楽学者が第一の拠り所としているのは、バッハ自身が記した1730年8月23日付の市参事会宛の嘆願書です。バッハは自らが教えるトマス合唱団(トマス学校寄宿生の合唱団=トマス教会専属ではない)を4分割して、トマス教会、ニコライ教会など、同時に行なわれる市内4箇所での礼拝のために送り出さなければなりませんでした。その結果、人数の不足、特にトマス、ニコライの両教会で歌えるような有能なメンバーが不足していること、そしてそれらをせめて各パート3名は揃えられるようにしてほしいことを訴えた嘆願書です。今回はOVPP自体を考える前に、この嘆願書がすべて聞き入れられていたら、どのようなバランスの声楽・器楽アンサンブルが出来上がっていたかを検証します。


 まず楽器奏者は下記のとおりです(木管楽器はこちらで補足しています)。


  フルートⅠ・Ⅱ=計2名

  オーボエⅠ・Ⅱ=計2名

  ヴァイオリンⅠ=2~3名

  ヴァイオリンⅡ=2~3名

  ヴィオラⅠ=2名

 (ヴィオラⅡ=2名)

  チェロ=1~2名

  ファゴット=1名

  ヴィオローネ=1名

  オルガン=1名

  計14~19名


 これに対する合唱は下記のとおりです。


  ソプラノ=3名

  アルト =3名

  テノール=3名

  バ ス =3名

  計12名


 わざわざ1声部ずつ書き出したのは、比重を視覚化してみたかったからです。尚、バッハは合唱各パートについて「理想を言えば4名」と付け加えていますが、これについては確保されることを期待していない書き方だったので無視します。


 ではこの人数配分をヨハネ受難曲BWV245の単純コラールに当てはめてみましょう。譜表の左側にどの楽器がどの声楽パートをなぞるかが記されています。例は第5曲です。

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 例として引用した第5曲ではオーボエ2本がソプラノをなぞっていますが、他の曲でアルトがオーボエの音域で収まっている場合は、オーボエⅡがアルトをなぞっています。それらの状態を表で対照してみると、以下のようになります。

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 明らかにオーケストラが勝っています。合唱付オーケストラ演奏会、あるいはオーケストラ付合唱演奏会では、合唱の人数を多く設定するのが定石です。特にコラール旋律を歌うアマチュアのボーイソプラノ3名は、2倍の数の楽器に対抗出来ないことは明らかです。アルト以下の人数バランスはかろうじ拮抗していますが、ソプラノをなぞる楽器が蓋をしてしまっている以上、全体として歌詞は会衆まで届かなかったと考えるのが順当です。似たような現象はコラール以外の合唱楽章でも起きています。ただ合唱楽章の場合は、器楽声部の休符やアーティキュレーション(スタッカートによって生じる隙間など)により、合唱とその歌詞は単純コラールの場合よりは聴こえていたと思われます。


 特筆すべきことは、この状態はバッハが不満を抱いていた「1730年当時の現状」で起きていることではなく、バッハ自身が嘆願書に記した、「目標とする人数」の編成で起きることなのです。フルートⅡやオーボエⅡの音符を書かず、スコアやパート譜の弦楽器パートに”solo”と記すだけで、楽譜上から器楽奏者の人数を減らしたりすることは可能だったのですから、アンバランスを承知の上でのオーケストレーションと言えます。すると今日の演奏会場に於ける理想のバランスとはまったく別のバランスが、バッハの思惑だったのではないかという推測が浮かんできます。


 バッハはおそらく二つの「現実的な理由」を満足させるため、楽器が優勢になることを望んでいたのではないかと推測されます。


 第一の理由は、コラール旋律をはっきりと聴かせるためです。バッハの時代の会衆は、コラール歌詞をほとんど暗記していたと言われています。その理由としては第一には識字率が低く、讃美歌集の歌詞を読めなかったことが挙げられるでしょう。さらに毎週5時間に及ぶ礼拝は、市民生活の中心となる最大のイベントで、歌詞なども必然的に覚えてしまっていたとも言えるでしょう。

 このため、バッハは「歌詞を聴かせるため」のオーケストレーションを行なうのではなく、幾重に楽器を重ねてでもコラール旋律をはっきりと聴かせることによって、「会衆に歌詞を思い出させたかった」のではないかだと思われます。その傍証としては、カンタータに於ける数多くの器楽のみによるコラール旋律引用が挙げられます。


 第二の理由はトマス合唱団の練度と多忙さです。私達はバッハ時代のトマス合唱団について幻想を抱くべきではありません。現代のプロフェッショナル古楽合唱団のような歌唱には程遠かったはずです。トマス合唱団のメンバーはトマス学校の寄宿生であり、バッハはその教員でした。そして上司からは音楽にあまり時間と人員を使い過ぎないよう、監視される立場でもあったのです。日曜日になれば、55名のメンバーは少人数ずつライプツィヒ市内の4箇所の教会に分散させられ、町楽士の不足分の楽器奏者も抽出し、毎週新作を練習しては歌っていたのです。4箇所の教会の曲目は、もちろんそれぞれ異なります。この環境の中で彼らに許された練習期間は1週間でした。彼らの多くは大きめの音量の器楽の補助を頼りに、やっと歌い続けることが出来たのではないかと思うのです。


 次の例はこのようなトマス合唱団に対する、バッハの工夫の一例です。

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カンタータ BWV65 第1曲合唱


 合唱は薄い楽器編成で歌詞を聴かせては、全楽器と共に歌詞を繰り返すという歌い方を交互に繰り返します。合唱は楽器の薄い部分だけは器楽の支えなしで歌えるようにしておき、全合奏の部分では楽器の支えに頼ればよかったのです。立ち位置も現在の舞台のようにオーケストラの後ろに合唱が立つというものではなかったでしょう。きっと自分のパートをなぞる楽器の音が聴きやすい位置に、分散して立っていたに違いないと思います(J. G. ヴァルター:音楽辞典の表紙絵=トマス教会のカンタータ演奏では、トロンボーンが最後列に描かれています)。全楽器と一緒に歌っている間は、会衆には歌詞は聴こえなかったでしょうが、声自体は楽器音と混じりながらも聴こえてくるので、会衆は合唱から歌詞を聴いているような錯覚を覚えたと思います。もちろんこういった構成は、編成上の音楽的な対比効果を狙ってもいたとは思います。


 つまりバッハのオーケストラは、現代のオーケストラには無い二つの役割を負っていたことになります。


  ⅰ.演奏中のコラール旋律を会衆にはっきりと伝える.

  ⅱ.合唱団に歌うべき音を教える.


 私達は演奏会場で、バッハの教会音楽を「芸術作品として」味わいます。しかしその作品は本来は礼拝という、まったく別の目的のために作られたものです。「バッハの音楽が優れた芸術音楽であるのは、非常に稀有な偶然なのだ」と書かれた一文を読んだことがあります。「音楽による説教」として作られたものが、「芸術作品」としても優れたものであったという偶然です。

 この事実は忘れてはならないと思います。バッハの時代の別のジャンルの音楽、例えばオペラであるならば、バロック時代の聴衆と現代の聴衆の目的はほぼ同じと言えます。もし宮廷音楽であるならば、宮廷によってはより舞踏を楽しんでいたケースと、現代同様に音楽を楽しんでいたケースとに分けることが出来るでしょう。しかし教会音楽では、当時の礼拝堂と現代の演奏会場とでは明らかに目的が違うのです。OVPPを行なう上で、この部分は押さえどころだと感じています。



# by TheSonicBird | 2020-09-08 19:50 | ● OVPP(各パート1名)の検証

カンタータBWV21の初期稿について

バッハのカンタータ "Ich hatte viel Bekümmerniss" BWV21は、第1部=第1~6曲、第2部=第7~11曲という、合計11曲から成る大作で、初期カンタータ(ミュールハウゼン/ヴァイマール)中最大規模の作品です。3種類の演奏が確認されており、現存する第1稿は1714年のヴァイマールのもので、最終稿は1723年のライプツィヒのものです。3種類の稿の相違は、調性、独唱の声域と、モテット風合唱へのトロンボーンの追加などで、それぞれの稿はパート譜で残されており、前演奏に使用したパート譜を残しつつも、演奏の毎に必要に同じて書き替えられたり、移調されたりしています。


私が初めてこのカンタータを指揮したのは2001年でしたが、そのときに面白いことに気付きました。曲中に3回ほど「作風の段差」を感じたのです。つまり元々異なる出処の音楽が全11曲中に混在していると感じたのです。その時に私が感じたことは、オリジナルのBWV21は、少なくとも第9曲合唱で全曲を終えていただろうということです。




最初は一種の感触でしたが、考えてみると楽器編成もバッハの定石から逸脱しています。現存するBWV21では3種類の稿とも終曲だけにトランペット3本とティンパニが入っていますが、ソナタ形式時代の交響曲のように最終楽章で楽器編成を拡大することは、バッハはこの曲以外では行なっていないのです。さらにはオーボエは終始1本のみです。バッハがトランペット3本を入れる際には、オーボエは2本から3本で編成するのが常です。トロンボーン3本(+トランペット1)のコラパルテに関しては合唱の一部分と考えられるので、考慮の外に置いておいて良いでしょう。

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このようなことから、BWV21は当初オーボエ1本と弦合奏、通奏低音の編成で書かれた、楽章数も少ないカンタータだったということを私は確信しました。そしてその姿は、拡大されたものより統一感と、均整の取れた、一貫性のある音楽に思えたのです。ただし「我思う」だけでは、それを演奏会の曲目にするには根拠が足りません。実在した確証がないまま、このことは忘れていました。


最近になって再びこの問題を調べてみました。するとこの問題は意外にあっさりと解決しました。マーティン・ペツォルト(1996-2015年:新バッハ協会会長)という音楽学者が、このカンタータの1713年、つまり現存する稿以前の2回の演奏を特定しているのです。ペツォルトによれば、このカンタータは1713年10月3日にヴァイマールの聖ペトロ/パウロ教会で行なわれた追悼行事で初演された作品で、そのときはライプツィヒ稿の第2曲から第6曲までと、第9曲だけで出来ていたということです(第1曲も追加だったのです)。尚、さらに以前に作曲された可能性もあるとのことです。現在の形に改作されたのはその2ヶ月後、バッハがハレのオルガニストの任官試験を受けたときに、カンタータの提出演奏も必要とされたためです。

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実はこの追悼行事というのが曲者です。1回だけ演奏される世俗カンタータ、あるいは世俗カンタータに近い教会カンタータです。バッハは演奏機会が1回だけのカンタータに関しては、ある程度手を加えた上で、5年で一巡する教会カンタータのサイクルに出来るだけ取り込んでいます。後にその作業を助けたのが、筆名ピカンダーという作詞家、クリスチャン・フリードリヒ・ヘンリーツィです。このピカンダーが同じ韻を踏んだ世俗版と教会版の両方の歌詞を、おそらくはほぼ同時に作っていたのです。これによってバッハは一度だけの記念行事の音楽を作曲する際、最初から教会暦に沿ったカンタータを想定して作曲することが出来たのです。


ただしピカンダーによる聖俗両用の歌詞は、後にライプツィヒに移ってからの話です。BWV21は、バッハにとっておそらく初めての世俗カンタータ流用作業だったかも知れません。そのようなことを考えると、音楽的に流れが統一され、均整の取れた、そして何よりも音楽的内容の一貫性の強い第1稿の価値は高いのではないかと考えられます。


# by TheSonicBird | 2020-05-10 14:49 | ● 演奏会情報

現代から遡って過去の作品に至るのではなく、ルネッサンスから下って来てバロックや古典に至る。それが私の視点です。そのために自分の感性や人格を改造し続けています。その過程に共感していただければ幸いです。


by TheSonicBird
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