ドイツ語歌唱練習開始
カンタータプロジェクト2019、福岡側声楽アンサンブルの練習は6月から始まりました。現在のところまだバッハは歌わず、シューベルト:野ばらD.257でドイツ語歌唱のトレーニングをしています。
浅い日本語風の響きから離れ、ドイツ語特有の、深い、豊かな響きを作り出すと同時に、ドイツ語を歌いながらも、自在なアーティキュレーションが可能となることが目的です。そしてそのための第一の目標は、実は「レガート」なのです。
アーティキュレーションの代表格はスタッカートでしょう。スタッカートは「分離した」を表わすイタリア語で、短いアーティキュレーションを表わす楽語として用いられています。理屈上は次のように理解されます。
けれどもブツ切り状態でスタッカートを演奏するのは美しくありません。余韻まできれいにコントロールされたスタッカートこそ美しいスタッカートです。またスタッカートには「鋭く」という意味はありません。「丸いスタッカート」も存在します。つまりスタッカートは多彩なのです。
そしてそのスタッカートを美しく響かせるためには、余韻部分を自在にコントロール出来る技術が必要とされます。
ところがドイツ語のレガートは極端に難しいのです。要求される技術は、次の二点です。
ⅰ.ドイツ語の母音を修得し,滑らかに移り変わらせる.
ⅱ.母音のレガートを阻害せずに子音を際立たせる.
これを練習していきます。
1.ヴォカリーゼ(母音歌唱)
子音なしで滑らかに歌えることは、どう考えてもレガート歌唱には必須です。ヴォカリーゼ(母音歌唱)のための第一歩は、「よく響く母音を作ること」です。図のように「o」の口の形を基礎として母音を作っていくと、ドイツ語の母音の大半を網羅することが出来ます。「o」を基本とすることは、深い響きを維持するだけでなく、響きを逃がしにくくします。
「o」から、口の開きの横幅をあまり拡げないで他の母音を作る練習をします。例えば次の「o→a」のようにです。このときに注意することは、作った他の母音を耳で確認しないことです。私達が持っている耳は日本人の耳なのですから、耳で聴いて満足出来る「ア」に修正していけば、母音は日本語化してしまいます。ともかくセオリーどおりに口を変化させていくことです。
尚、長母音の「i」や「e」は、響かせるのが難しい母音なので、個々人の声楽技法の習熟度に応じて対応していきます。
さてレガートです。レガートとは、言葉を変えて言うならば、「一音符のように聴こえる複数音符」です(図解はポルタメントを意味するものではありません)。
この認識に基づいて、次のように母音歌唱を試みます。
このときに注意することは、ⅰ.口の動きを出来るだけ少なくする、ⅱ.動かすときは滑らかにうごかす、ⅲ.母音の縦の響きを保つ、の三点です。
「野ばら」の最初の2小節には、これらを実行するための障害となる落とし穴が三箇所あります。
第1の落とし穴は、「ai」と発音される「ei」の複母音です。この複母音の第2の母音「i」をしっかり発音してしまうと、咽喉が上がり、響きが落ちてしまいます。「a」の形に口の開きを保ったまま、瞬間的に、けれども柔らかく「i」を発音します。
第2の落とし穴はウムラウトです。ドイツ語のウムラウトは、分母の位置に書かれた母音の口の形で「e」を発音する記号です。日本人がウムラウト発音の成否を判定する際、大抵は結果としての原母音と「e」との混じり具合を聴いて判断します。これは一種の結果論で、少なくとも音楽的には間違った評価基準です。最も大切なものは「o」の口の形です。 "Röslein"はあくまでも"Rose"の縮小名詞なのであって、"Roslein"と"Reslein"とのミキシングではないのです。特にパート複数の合唱の場合、"Roslein"と発音する者がいても全体としては"Röslein"と聴こえますが、1人でも"Reslein"と発音する者がいるならば、全員が「レースライン」という片仮名発音をしているように聴こえてしまい、致命的です。
尚、「o」の口の形を重視するならば、前の小節全体の「a」の口の形から、滑らかに移り変わることが出来ます。もちろん咽喉が上がり、響きが落ちるという現象も防げます。
第3の落とし穴は"stehn"の「e」です。この「e」は長母音です。長母音に関しては、声楽技法に習熟する以外に歌いこなす方法はありません。合唱の中で、短期間で歌いこなさなければならない場合、口の形や発音・発声の位置を出来るだけ前後の音節から変えず、「e」に近い発音を試みるしかありません。無理に正式な長母音を発音しようとすると、咽喉が上がって響きが落ち、第三者には日本語にしか聴こえない発音になってしまいます。
これで最初の2小節は、母音のみながらも完全なレガートで歌うことが出来ました。同様の方法で全体をレガートで歌う練習をすれば、「野ばら」の母音唱法によるレガートは完成したことになります。
2.子音の練習
鋭い子音を持った言語であるドイツ語を歌う際、「子音を際立たせて歌詞の内容を伝える」と「滑らかなレガートを歌う」という矛盾する要件を満たす必要があります。そのためには口腔内での子音の発音部位と、子音発音のタイミングとが、母音から切り離されていなけれぎなりません。
ところが日本人は子音と母音との切り離しに慣れていません。現代日本語は、子音と母音とが分離していない言語だからです。
つまり日本人の発音習慣をそのままにドイツ語を歌うならば、子音が際立たせられる度に母音まで強められてしまうため、各音符にはアクセントが付いてしまいます。
ドイツ語では母音は滑らかにつなげられたまま、子音を差し挟んでいくことが可能です。
そのためには、まず子音と母音とを切り離す練習が必要です。最も分かりやすいのはT行の発音です。日本人にとってかなり難しい子音ですが、それだけに違いが意識しやすいのです。上口蓋に当てた舌先を歯をかすめながら一気にリリースする子音です。次の表のように日本語のタ行と比較対照しながら、ちょうど日本語に慣れていないイギリス人が発音したタ行のよう発音出来れば良いでしょう(T行の見本は、実はイギリス人が最適です)。
「ta」を例に取るならば、「t」が鋭く、しかし強くなく発音出来、しかも「t」と「a」の間隔を自由に取れれば、それ以外の子音の修得は容易でしょう。
こうして作った音節頭の子音を拍の前に出して発音します。あるいは次の譜例のように、「音節頭の子音は、前の音節の末尾に発音する」と考えると実行しやすいかも知れません。
このようにしてドイツ語のレガート歌唱を練習しています。単にドイツ語の発音練習をするだけでは、ドイツ語は歌いこなせません。関係した各要素を分解して、構成し直すことによって、より豊かな響きと表現力を手にしたいと考えているのです。そしてそれらをバッハに応用していく予定です。